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小野町は郡山といわきを結ぶ磐越東線沿線の山間の町で、小野小町の生まれ故郷だという言い伝えがある。町を歩いてみると、直角に曲がったクランク状の道が多いのに気付くが、それはこの町が城下町だったせいなのかも知れない。この人口12,000人の小野町に、創業120年の鰻割烹「若嶋屋」がある。
店は小野新町駅から北東に1.5qほど行った小野町役場の近くにあった。その瓦屋根二階建ての大きな日本建築は、歴史ある割烹の名に相応しい堂々とした風格と貫禄がある。若嶋屋の上に大きな寺「普賢寺」があり、遠くから見るとその寺の付属建造物のようにも見える。
確かに小野城主の田村梅雪によって1582年に他の地から移設されたこの普賢寺は1864年の小野新町大火によって焼失し、再建されたのが明治29年(1890年)というから、「若嶋屋」創業とほぼ同時期に当たり、この店が墓参りの際にでもよく使われていたのだとしたら、あながち見当違いとは言えないかも知れない。
店は大きく「う」と書かれた紺地の暖簾のある玄関から入る座敷専門の「若嶋屋」と、玄関右横の障子格子から入るカウンタとテーブル席専門の「うな久」が、同じ建家内でそれぞれ営業されている。今回、始めから座敷に行こうと決めて訪れたが、間口の広い玄関に何十足ものスリッパが整然と並べられているのを見て怖じ気づき、ついつい「うな久」の方に足が向いてしまった。
20年ほど前に開店したといわれる「うな久」はガラス戸を開けると奥行きの深い店で、手前に天然木のテーブルが一つあって4席、奥のカウンタに10席あり、全体的な店のムードは、鰻屋というより一杯飲み屋の風情である。【確かに「うな久」の箸袋には食事処、呑み処と書いてある。】
訪れた時、店内には誰も人の姿が見えず、声をかけたら女性が顔を出して注文を取りに来た。初めての店ではいつもするように一番高い「特鰻重」(2,625円)を頼んだところ、「『特鰻重』? 3枚入っていますけれど、大丈夫ですか?」と尋ねられた。何が3枚で何が大丈夫なのか分からなかったが、「大丈夫! それでお願いします。」と頼んだ。
この「うな久」のカウンタの奥に、「若嶋屋」「うな久」両店の焼き台がある調理場らしく、それらしい物音が聞こえるが、何かが見えるわけではない。誰も来ないまま一人ぼっちにさせられて20分、鰻が出て来る気配は全くない。しかし、その内にタレの焦げる香ばしい匂いが微かに鼻を刺激し始めた。この分だと裂きたて焼きたての鰻を食べられるなと嬉しくなったが、ここで尻が痛いのに気付いた。尻の下を見たら、椅子に仕立てた丸太に薄い座布団が括り付けられたものだった。鰻屋でこの椅子に30分以上腰を掛けているのはかなり辛い。初志貫徹、座敷の「若嶋屋」の方にすれば良かったなと、先ず一つ反省する。
注文して丁度40分した時に鰻重が運ばれて来た。蓋を取ると、見た目には焦げ目が少し目立つものの、大きな鰻の胴の部分を一つ半並べた立派な蒲焼きが二串、ご飯が見えない程敷き詰められている。凄いボリュームだ。
食べてみると、口の中でホロホロと崩れるほど柔らかくて脂の乗りも良く、裂きたて焼きたての美味しい蒲焼きだ。タレは比較的甘口である。
鰻の量は考えていたよりずっと大きいなと思いながら箸を進めたところ、ご飯の中から大きな蒲焼きがもう一つ出て来たのにはビックリした。 蒲焼きはあくまで大きく、またご飯の層は夫々が驚くほど薄いので、鰻重全体に占める「蒲焼き含有率」は他の店と較べて非常に高いのだ。ここで初めて、店の女性から「3枚入っていますけれど、大丈夫ですか?」と念を押された意味が分かった。
しかし、美味しい蒲焼きでも、私にとってその量は正に「過ぎたるは及ばざるが如し」であった。更に、ご飯にたっぷりかかったタレは、味として蒲焼きとご飯の区別をなくし、皆蒲焼きに感じてしまうのである。香の物と肝吸い、そしてお茶だけでは口元に変化を付けるだけのキレがない。
大体、私の鰻重一杯の食事時間は15分とかからないのが普通であるが、ここ「うな久」では20分もかかってしまった。人一倍鰻好きを自認する私であるが、平らげるのにこれほど苦労するとは思わなかった。店の女性から念を押された時に『上鰻重』【2枚で1,890円】に変えれば良かったと二つ目の反省をした。【あの『特鰻重』『上鰻重』の価格で、あれだけの蒲焼きの量は予測できなかった。言い換えれば安いのだ…。】
それでも、鰻好きを自負する人は、「若嶋屋」(「うな久」)の『特鰻重』の圧倒される蒲焼きに挑戦し、腹ごなしに小野小町の生まれ育った土地を散策するのも一興かと思われる。
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